ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 初回感想。
封切り初日にヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qを観てきました。新劇場版:序の時は二日目だったにも関わらず、終了後に拍手が出るほど一体感があったので、会場と一体となって盛り上がるのが映画館の醍醐味なら初日に行くのがベストだと判断。
見終えての印象を書き記しておくことにします。一言で言うと、「消化不良」。
※以下ネタバレ。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版の序・破は、基本的には旧作をベースに展開されていました。しかしQは冒頭からサードインパクト後の14年後となっていることにまず仰天。新要素が多く展開は速く、理解が追いつきませんでした。
新劇場版:破で、シンジとアスカは他人との距離を理解し自我を持ちます。旧作が自己を認識する思春期の過程を描いた物語だとすれば、新シリーズでは破でその過程が終わっていました。(新劇場版:序、で終わっていたかも。)
これに対し、新劇場版:Qは自己と他者を認識し、意思を行使することを覚えたシンジが出会う挫折の物語でした。
レイを救いたい一心で身を捨て、新たな力を行使した結果は世界の滅亡であり、その原因は自分だと知ったシンジは絶望します。世界を壊した彼に対する他人からの強い拒絶は、旧作のようなシンジの被害妄想ではなく過酷な現実でした。
旧作が思春期の学生の心の動きを表現しているとすれば、新シリーズは社会に出てある程度の成功を収めた大人が出会う、挫折の物語だと言えます。
「あなたはもう、何もしないで」とミサトから冷徹に言い渡されるシーンが象徴的。自我に目覚め挫折し絶望し、そして救われたシンジの次のステージが次回作の「シン」で描かれるのでしょう。
観ている時は圧倒されてしまいましたが、よく考えてみると冒頭のナディアのBGM「バベルの光」が流れるシンジ強奪シーンの使徒はアルミサエルだと思われるのでTV版弐拾参話、その後カヲルと共に弐号機と戦うシーンはBGMが第九だったりとTV版弐拾四話が下地となっています。世界の破滅を食い止め、最後に残ったのはシンジとアスカ、というラストはThe End of Evangelionのラストとほぼ同じ。今回のQで、旧作のパラレルワールドとしてのストーリーは消化されているのだと理解しました。
今回のシリーズが、思春期でなく大人の苦悩を描くものだとすれば、次回にどのような「ありがとう」を見せてくれるのか、非常に楽しみです。
以下メモ。
- 11/16金曜ロードSHOW版では冒頭6分でマリが歌っていない。アスカの「いつまで歌ってんの!」というセリフもない。
- トウジの妹:鈴原サクラ
- ナディアBGM
- 「バベルの光」:アルミサエル戦
- 「万能戦艦Nノーチラス号」:ヴンダー始動
- パンフレットより
- 台本上は「別レイ」
- みやむー「歩き出したのね、とうとう」
- みやむー「あんたバカァ?」はもう、卒業じゃないですかね?
- 庵野監督「アスカはもうプロの傭兵なんだ」
- 庵野監督「鶴巻に具体的なイメージを任せてあるから」(マリ)
- 庵野監督「冷たく冷たく演ってください」(ミサト)
- 大塚「これって対消滅エンジンですか?」庵野「そんな古いテクノロジーではありませんよ(笑)」
マリのイメージを鶴巻さんに任せているというのは納得。登場時からトップをねらえ!2のノノのイメージでした。「ゼロ距離ならば!」というセリフなんかは庵野さんっぽくなかったし。
新劇場版:破ではカレカノの曲が多用されていましたが、今回はふしぎの海のナディアの曲が多く使われていました。冒頭から大気圏突入だったりと宇宙のシーンが増えてきているので、作品の世界観はむしろトップをねらえ!に近づきつつあるようにも感じます。
トップをねらえ!の音楽は鷺巣さんではないので次回作でも使われないと思いますが、次回作で庵野監督がトップをねらえ!を彷彿とさせる要素、例えばタイムパラドックス的な演出を使ってもおかしくないのかもしれません。
今作は、成長し強くなったアスカがただひたすらに頼もしく美しく、昔痛々しかったことを忘れさせてくれるほどに活躍してくれたのが、嬉しかった。かつてのファンとして安心しました。それだけでも観に行って良かったかな。
理解できた部分だけを書いてみましたが、細部はわからないところだらけでした。また観に行くつもりです。