PBP2023 #7 走行編 Villaines-la-Juhelまで (〜1017.7km)
復路Loudéacでの仮眠
往路のLoudéac(ルデアック)ではドロップバッグの中身を取り出して整理したりと無駄な動きが多くタイムロスにつながりました。復路はあの失敗を繰り返さないようにしようと思っていたのですが、これまでの疲れが溜まっていてうまく頭が動きません。
復路でも荷物の入れ替えに手間取ってしまい、仮眠所で眠りについたのは到着から約1時間後でした。
Loudéacの仮眠所には体育館のような場所にコットが所狭しと敷き詰められていますが、受付時にマットレスを使うと答えると隣との間隔が少し広い場所を案内してもらえます。このマットレスは広く柔らかくそれなりに快適で、よく眠ることができました。
この日はドロップバッグに入れていたアルファ米のパックに水道水を入れて仮眠中に戻し、起床直後に食べることで食堂に立ち寄らないという時短作戦。水でちゃんと戻るのか不安でしたが2〜3時間でしっかり食べられる状態になっていました。尾西食品のアルファ米は想像以上に美味しく、お米のご飯の美味しさに癒やさます。次の機会があればまた利用しようと思います。
夜の仮眠もこれで三泊目。疲れ切っていたためこの時の記憶が曖昧なのですが、記録を見ると23時にLoudéacに入り、0時に仮眠所に行き、2時間半眠った後に食事をとり、午前3時頃に出発。合計4時間も滞在していました。
復路Loudéacでは4時間近く眠ることが理想だったのですが、足の故障によるペースダウンで貯金が稼げず、PCでは時間のロスが多く、結局この日もあまり眠ることができませんでした。
Quédillacまで(782.2km→842.3km)
PCクローズ時刻の2時を1時間も過ぎ、借金を背負った形でLoudéacを出発。
リスタート直後は仮眠をとった直後なので良いペースで走れることができました。懸念していた夜の寒さも問題なく、Loudéac出発時は17度、明け方の最低気温は14度でした。
しかし、Loudéacでの仮眠は快適でしたが絶対的な睡眠時間が不足しています。
初日1.5時間、2日目2時間、3日目2.5時間の睡眠時間だったので、ここまで3泊合計で6時間しか眠っていません。睡眠負債が溜まっている状態です。
少しずつ、しかし着実にマイクロスリープが波のように繰り返し繰り返し襲ってきます。
私設エイドがあったので夜明け前に少し休憩。
休憩や軽食で眠気が飛ぶということもなく、更に眠気は強くなっていきます。このままではマイクロスリープに襲われて何度も道端で眠ってしまい、次のPCに間に合わなくなるかもしれない。
ここで賭けに出ることにします。
直前のLoudéacに宿泊したばかりですが、Quédillacの仮眠所でも眠って睡眠時間を確保することにしました。
道端で中途半端に眠るよりも、快適との噂のQuédillacの仮眠所でしっかり眠った方がこの後がスムーズに進めるはず。
6:30に到着し、仮眠所に直行して30分眠って7:10に出発しました。
Tinténiacまで(842.3km→867.3km)
この日二度目のQuédillacでの仮眠は計画していたものではなく、半ば衝動的な判断でした。
QuédillacからTinténiac(タンテニアック)まではわずか25km。PCクローズ時刻は8:30なので残り1時間20分で25kmを走らないとタイムアウトです。平均19km/hで進まないといけない計算になりました。
この日も右足が痛くまともに踏み込めない状態でしたが、仮眠中にポーチをあさってみたところ、ロキソニンが2錠だけ出てきました。
これを使ってみたところロキソニンの効き目はすさまじく、痛みは嘘のように消え失せました。
痛みがなければ、体力も足も残っているので全開走行することができます。ここぞとばかりに踏み込んで加速してTinténiacを目指します。Quédillacの仮眠所は噂通り快適で、眠気もすっかり失せていました。
TinténiacにはPCクローズ10分前の8:20に到着。かなり危ないところでしたがロキソニン・パワーで危機を乗り越えました。今回の行程の中で最もタイムアウトに近づいた瞬間です。
Loudéacで1時間の借金を負いながら次のQuédillacでも仮眠を取るのはかなり無謀な賭けだったと言えますが、その後ペースを上げてどうにか帳尻を合わせることができた格好です。
Fougèresまで(867.3km→928.2km)
Tinténiacではカロリーの高いクロワッサンを多めに食べ、停止時間を30分程度に留めて9時頃にリスタート。タイムアウトギリギリで滑り込んだので、当然のことながら出発時は借金状態です。
Quédillacでの仮眠とロキソニンが効いてこの後はかなりペースアップ。普段のブルベペースに近いスピードに戻って快調に進んでいきます。眠気は、日が高くなると不思議と薄れていくものです。
さくさく進んでFougères(フジェール)には11:45に到着。クローズ時刻は13:10なのでなんとか1時間以上の貯金をつくることができました。
ここではコントロールでのサインのみ行い10分で出発。FougèresにはPC近くのコース上にマクドナルドがあります。十分な貯金を作ってここで食事することは復路の目標の一つでした。
正午にはマクドナルドに到着。まだ1時間の貯金があるので時間は問題なし。PCでの補給はフランスパンでハムを挟んだサンドイッチやクロワッサンやパスタばかりになりがちで、マクドナルドのような腹にたまる食事があまりありません。
店内に入るとばるさんに遭遇。元々、このFougèresのマクドナルドはばるさんの情報で知ることができたお店でした。
ばるさんとは同じスタートウェーブでペースも近かったのか行程中何度もお見かけしていたのですが、まさかPCでもないマクドナルドでお話することになるとは思いませんでした。
念願のマクドナルドを食べることができて大満足。日本でよく食べるいつもの味です。ひとつ上の「マキシマムサイズ」という大きめサイズのものにすればよかったと軽く後悔。
12:45頃、マクドナルドを出発しました。
Villaines-la-Juhelまで(867.3km→1017.7km)
しっかり補給し眠気もなくなり元気いっぱいと言いたいところですが、2錠しかないロキソニンの効果が切れてまた足の痛みに悩まされることになります。
ロキソニンが効いていたFougères前は快調に走れていたのですが、また痛みで回せなくなり20km/h以下の速度でしか走れなくなっていました。
更に痛みが増してきたらどうしよう。まだゴールまでは300kmもあるので不安が大きくなっていきます。
かなりつらかったので、途中Gorronのドラッグストアに転がり込んで痛み止めを購入しました。この街はちょうど良い補給ポイントとして毎回お世話になっています。
Google翻訳アプリを駆使して足の痛みを抑えたいと訴えると出てきたのがこの薬。よく見ると「イブプロフェン」と書いてあります。もうロキソニンはないのでこの薬に頼るしかありません。
薬が効くことを祈って、Gorronを出発します。
Loudéacより東側は気温が高く、この日も厳しい暑さに悩まされることになりました。湿度が低いので日本の夏よりは過ごしやすいのですが、この日の最高気温は34度ほど。強い日差しが参加者を襲います。簡単に氷が手に入るコンビニがないのが痛いところ。日陰を見つけて休憩・仮眠するランドヌールが目立ちました。
この時間は足の痛みと日中の暑さに耐えながら、ゆっくりゆっくりと進みます。
ゴールまでの距離表示を作ってくれている人がいました。あと200km。あと「1ブルベ」です。
17:05には毎回立ち寄るLe Ribay(ル・リベ)の私設エイドまで戻ってきました。
フランスでよく見る「bar des sports(スポーツバー)」という表記と電話番号があるので、おそらく現地の飲食店が運営しているエイドなのだと思います。
ここではガレット(ソーセージをクレープで巻いたもの)とオランジーナを頂きます。肉がうまい。ここでは20分ほど休憩しました。
この頃、再び眠気に襲われることになります。Gorronで購入した痛み止めはあまり効かず、足が痛むのでペダルを踏み込むことができません。陽気とスローペース走行が眠気を誘い、次第にふらふらとし始めました。
ヴィレンヌまで戻ってきました。数キロ手前で落車。片足は痛くて回らないし、なかなか満身創痍になってきた。 (@ Villaines-la-Juhel in Pays de la Loire) https://t.co/5bPQ6AzJej pic.twitter.com/BF5plRLymc
— さかき (@sakaki041) August 23, 2023
PC手前で強い眠気に襲われ、Villaines-la-Juhel(ヴィレンヌ=ラ=ジュエル)の5km手前の地点で、車道と歩道の段差に前輪を取られてついに落車。
右側にゆっくりと倒れると、落車の痛さよりも身体に触れる地面の暖かさがむしろ気持ちいい。このまま、倒れたまま眠ってしまいそうになりました。睡眠不足だったことがよくわかります。頭がぼんやりとしていている、夢うつつの状態です。
すぐに周囲のランドヌールが駆け寄ってバイクを起こしてくれたので、あわてて自分も起きあがってダメージがないことを伝えます。みんな優しい。ありがたい。
そうだった。ゴールまではあと200km。ここで倒れて寝るわけにはいかない。
ほとんどスピードは出ていなかったので、どうやら体とバイクにダメージはないようです。
なんとか持ち直して、再び走り出し、数キロ先のVillaines-la-Juhelに入っていきました。