ブレストまで何マイル?
ブルベ中心のロードバイクの走行記など

PBP2015の話(2/3):後半

1月 10th 2019 in ブルベ

前回からの続き

ブレストにて

折り返し地点のブレストに制限時間ギリギリで滑り込み、倒れるように芝生の上で爆睡。気がつけばPCクローズ時刻の3時間後になっていました。もうこのあとのPCに間に合う見込みはありません。

しばらく悩んだ後、DNFを決意してGoogle Mapsでブレストの駅を探し、向かい始めました。PCの正面から出るとパリに向かう方向に誘導されてしまいます。きまりが悪いので裏口からこっそりと出発することに。なんだか残念な気持ちです。

パリへの乗り換えを調べてみると、レンヌで乗り換えることはわかるものの、パリは広すぎて、パリの中心がどの駅なのか今ひとつよくわからない。宿のあるサンカンタン アン イブリーヌまでどう行くのかも、よくわからない。

なんだかもやもやした気持ちが広がっていきます。

「重い輪行袋を担いで、自走ではなく、電車でパリまで戻るのか…。」

「どの街でも歓迎して迎えてくれた。小さな女の子たちが目をキラキラさせていつも応援してくれた。それなのに自分はDNFするのか…。」
(PBPは、道中のどの村でも沿道で沢山の人が応援してくれます)

「また、600kmでDNFするのか。自分は600kmまでの人になってしまうのだろうな…。」
(前年に1000kmブルベの600km地点でDNFしていました。この時点では、600km以上のブルベは未完走でした。)

割り切れない想いが増していく中、PCからブレスト駅までの道を半分ほど来ました。

「このまま本当に駅に行くのか…?」

「…」

「…」

「…」

「…いや。パリに帰ろう。もう制限時間には確実に間に合わないけど、でも何時になってもいいから、あの道をまた辿ってパリに向かおう。」

ブレスト駅に向かう途中でそう決めて、踵を返しました。

カレ・ブルゲ(698km地点)まで 84km / 9.2km/h

おそらく17時ごろにコースに復帰。まだPBPに参加できていることが嬉しい。もう何時になっても構わない。自走でパリに帰ろう。そう思いました。

600kmより先は、当時の自分にとっては未体験の距離でした。ですが、ブレストで気持ち良く熟睡できたためかそれなりに調子は良い感じ。自走で帰ると決意し、吹っ切れたのでメンタルも前向きです。


21:20 カレ・ブルゲの直前でケバブ屋に入って食事。大量の肉を食べきれず、半分はお弁当にしてもらいました。普通の食事がありがたい。

21:50 カレ・ブルゲに到着。短時間の停止ですぐにリスタート。この時点で、借金は2時間50分。


応援メッセージが道に書いてあります。


ついに行き先表示がパリに!


天気は良く、フランスらしい光景が広がります。

ルデアック(780km地点)へ 82km / 10.1km/h

22時をすぎるとまた夜が来ます。疲れも溜まってくるし休憩したい。でも、3時間近い借金を抱えている。カレ・ブルゲでも、その後のサン ニコラ デュ ペルムでも人の姿は少なくなっていました。これ以上遅れてしまうと、PC自体が閉鎖してしまうかもしれない。開いているうちに、なんとかルデアックまでは辿り着きたい。


途中の屋台でソーセージをクレープで包んだものを買って食べる。味はイマイチ。


街にある、このような私設エイドにはなんともいえない魅力があります。食べている間にも、吸いこまれるように次々にバイクが止まっていく。みんな疲れているんだなあと思うと、なんだか微笑ましい。


この辺りでよく見かけたデンマークの方々

パリを目指して気合いを入れ直して走るも、この後は睡魔に勝てずに何度も道端で仮眠。

ルデアックには19日5:37に到着。ここで、借金は4時間半に達していました。借金が減るどころか増えている。15km/h以下の速度でしか走れていないということです。
当初の予定では、シャワーを浴びて仮眠を取るはずだったのですが、もはやそんな状況ではないと判断。
ケバブ屋で包んでもらった弁当を食べ、これまで温存していたオダックスのジャパンジャージに手早く着替え、今度はモバイルバッテリーも忘れずに持って出発。

ここで、日本人の方から耳寄りな情報を聞くことができました。
PBPでは途中のPCの制限時間をオーバーしていても、時間内に完走できれば認定がもらえる。別の人がPBPの運営スタッフに直接確認したらしい」とのこと。

伝聞であり、正確な情報ではないかもしれません。しかし、制限時間をオーバーしても、ここまでのコントロールでは何も言われずにスタンプをもらうことができていました。
もし最後の制限時間に間に合えば、認定がもらえるのかもしれない。この情報に望みをかけて、ゴールを目指してみることにします。

残りは400km。600kmを超えているので15km/hで走っても借金は減っていくはずです。これまで経験したことのない、4時間半という大きな借金を考えると、それでも間に合うとはとても思えません。でも、少しでも可能性があるなら、挑戦してみたい。

復路ルデアックは6時半にリスタート。

タンテニアック(865km地点)へ

8月だというのにフランスの夜は寒く、モンベルのジオラインEXPとレインジャケット上下を着てなんとかやり過ごすような気温。

午前九時にカフェを見つけて入店。店に入る際、縁石にタイヤを取られて落車するも、ディレイラーガードを付けていたので問題なし。


コーヒーとバゲットを注文したところ、1mほどもある長いフランスパンがでてきてびっくり。でもフランスのパンはとても柔らかく、バターをつけて食べるだけで不思議に美味しい。1/3を食べて、1/3をテイクアウトにしましたが、全部持ち帰ればよかったと後で後悔。

途中のケディアックはトイレとドリンク補給だけの7分ストップでリスタート。


このビアンキジャージの英国人と一緒に、引いたり引かれたりしながら進み、10:44にはタンテニアックへ到着。
この区間は普段の調子になり、良いペースで走れました。でもまだ借金は3時間もあります。

フージェール(919km地点)へ 54km / 16.7km/h

もう後がない。絶対にパリへ帰るという一心でとにかくペダルを回します。
この区間は、記憶が曖昧。14時にフージェールに到着しているので、11時すぎにタンテニアックを出発したとしたら、3時間弱で走破しています。これまでのスローペースと比べると明らかに速い。


フージェール到着。

ヴィレンヌ ラ ジュエル(1008km地点)へ 89km / 17.3km/h

ようやく本調子になってきているのでとにかく急ぐ。前半は眠くパワーが出なかったり、序盤で足がつってしまい、かばうように走ってきたのでまだ足が残っていました。

補給は途中の私設エイドを活用し、なるべくサンドイッチを食べます。フランスのオレンジジュースが気に入って、後半のドリンクはほぼオレンジジュースにしていました。


私設エイド本当にありがたい。


サンドイッチとオレンジジュースはPBPの標準補給食、といった感じ。


少し雲行きが怪しくなってきた、ような

19日19:43 ヴィレンヌ ラ ジュエルに到着。借金は1時間40分まで減少していました。これなら次のPCで、オンタイムに戻せるかもしれない!


あいかわらずこのPCは素晴らしい歓迎ぶり。到着時間が遅いためか食堂が空いていたので、食堂でパンとオレンジジュースを頂く。

オレンジジュースをボトルに入れ、空きビンを捨てるためゴミ箱を探そうと辺りを見回した時、沿道の方が「わたしが捨てておくわよ。早く出発して」と空きビンを受け取ってくれました。何気ないことですが、こういう応援はとても嬉しい。本当に応援してくれているんだなと思うと、力が湧いてきました。

丁寧にお礼を言って、出発。

モンターニュ オ ペルシュ(1089km地点)へ 81km / 15km/h

再び夜がきます。借金はどんどん減っているのでこの区間でオンタイムに戻すつもりで景気よく走行。夜とはいえ天気は良いし、バッテリーの残量も問題なし。夜が寒いことも理解しているのでウェアのレイヤリングで対応済み。懸念はない。

20日1:09にモンターニュ オ ペルシュ入り。この時点で、借金はわずか1分になっていました。


多少の余裕ができたので、ここで大休憩をとることに。食堂でパスタを食べました。


食堂は並んではいないですが、制限時間に近づいてきたのでかなり人も増えてきました。

食堂の床で仮眠をとり、3:26に再出発。

ドルー(1166km地点)へ 77km / 11.2km/h

次のPCには間に合うはず。気合を入れてスタートするも、すぐにマイクロスリープが頻発する状態に。「ランタン・ルージュ」と言われる、どこまでも続くテールライトの列に幻惑され、蛇行運転で路肩に入り込むこと多数。走っているのか夢を見ているのかわからない。前の人同士の会話が聞こえてくるような気がする。ふと我に返って、突然停止したりすることもありました。

何度も草むらで寝ても、それでも眠気は取れない。直線では蛇行し、意識がない状態で坂道を下ったりしていました。ふと気がつくと、すぐ前にいたライダーとの距離がかなり離れている。いつの間にか、かなりの台数に抜かれている。気がついてまたスピードを出して前のライダーに追いついても、また同じことの繰り返し。

周囲の方から「危ない!寝ろ!」と頻繁に言われる。前に進めていたことがむしろ不思議なくらいの状態でした。

ドルーに到着したのは20日の7:46。せっかく減らした借金は、また一時間10分に増えています。

ゴールのクローズ時間は11:30。残りの距離は64km、残り時間は3時間半。

借金は1時間以上あるけど、ここまできたらもう、やるしかない。

ゴール(1230km地点)へ 64km / 19.1km/h

残りの三時間は全ての力をかけて行くしかない。ドルーに到着後、すぐにコントロール駆け込み、力強く挨拶してすぐに飛び出していきました。
素早くサンドイッチだけは購入。これさえあれば補給はもう最後までなんとかなるでしょう。

出発後、Garminでコースを確認しながら徐行していたら、急停車した前走者に接触して落車。擦過傷はほとんどないものの、もしかすると肋骨を痛めたかもしれない。それでも、何も感じないくらい気合が入っていました。急停車した方は申し訳なさそうに何やら説明していましたが、「いやいやあなたは悪くないよ」と話して再びスタート。


ここからが勝負の3時間。ここで雨が降り始めました。それも小雨ではなく、本降り。

…だからどうした!。これまで晴れだったことを思えばなんでもない。この年のヘブンウィークの指宿600では、17時間続いた豪雨の中を走ったりもしていました。その時に比べれば、あとたったの3時間でしかない。夜は明けて明るくなっている。雨は、ペースを落とす障害にはならない。

一度は諦めた認定が視野に入り、気持ちは盛り上がっているものの、初めての1200kmの最終盤で体はガタガタです。
あと3時間、この3時間だけは足よ動いていくれと、と祈るような気持ちでひたすら踏み込みます。エネルギーをすべて使い果たすつもりで踏み込む。出し惜しみは無し。登りでも踏む。みるみるうちに減ってゆく目的地距離。たまにパンをかじる。フランスパンをトップチューブバッグに刺していたら、カメラが落ちて石畳で傷だらけに。素早く停止しカメラを拾って、すぐに元のトレインに追いつく。そのくらい、気迫を込めて走っていました。


次第にゴールが近づいてきます。案内の表示がある場所からは、なんだかんだで10km以上あるようです。周りの人はもうゴールを確信してパレードランモード。談笑しながらゆっくり、のんびり進んでいます。自分よりスタート時間が遅い人ばかりなのだから当然です。
しかし、自分と同じG組や、それよりもスタート時刻の早いF組は、間に合うかどうか、かなり際どい時間帯です。余裕がないのでとにかく急ぐ。制限時間ぎりぎりでは、もしゴール前に渋滞するようなことがあればタイムアウトになるかもしれない。そんなことまで考えます。

そして….

20日10:56ゴール!

スタートや折返しブレストでは、見栄えの良いゲートなどがありましたが、ゴールには何もなく簡素な柵があるだけでした。ゴールすると、周囲にいる人たちみんなが讃えてくれました。
ゴールゲートをくぐったら、すぐ前に前半を共に走ったUさんがいました。偶然にもほぼ同時にゴールしていたようです。(Uさんの方がスタート時刻が遅いのでタイムはかなり早い)

こうして、なんとか制限時間内にゴールすることができました。
一度はブレストでDNFを決めながら思い直して再度走り出し、途中のルデアックでは4時間半も制限時間をオーバーしながらの完走なので、感無量です。

折返しのブレストでは、まさか時間内にたどり着けるとは思っていませんでした。
ゴールタイムは89時間24分。制限時間のわずか30分前でした。奇跡が、おきました。


完走証

(振り返りへ)


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気がついてみると2018年ももう終わり。来年はPBPの年です。
2015年のPBPは、初めて参加した1200kmブルベでもあり、とても思い出深いものでした。今更ですが、思い出しついでに書き残してみることにします。

2015年当時にEvernoteに書いておいたメモ、ほぼそのままの内容です。

受付〜スタート前

サン=カンタン・アン・イブリーヌのベロドロームの前日受付の様子。
広いベロドロームの中、国別ジャージを来た世界各国のランドヌールの笑顔が印象的でした。

スタート地点までは長蛇の列。20分おきのスタートですが、並ぶのが遅いとかなり後方まで行くことに。

車検。オートライトの人は光らなくて苦労したとか。

カウントダウンと歓声の中、17:30スタート!

ヴィレンヌ ラ ジュエル(220km地点)まで 220km / 区間速度21.2km/h

スタート直後は気分が高揚しているので、40km/h前後のペースで軽快に進みます。ベロドロームの前から交通規制になっており、街中を進むと景色が開けた場所へ。

街路樹の中をご機嫌で進んでいると、ペダル付近にガッという音。足に何か当たったようですがタイヤで何かを踏んだ感じはしない。実はこの時、etrex20が振動で外れて落ちていたのでした。スタートからわずか30分、10〜15km地点でのことでした。

しかし、スタート直後でアドレナリン出まくりの興奮状態の中、etrexが落ちたことには気づかず、また道を確認するためにスピードを緩めるような気分でもなかったのでそのまま走行。etrex20は元々予備用で、メイン機のGarmin Edge810があるので問題は特になし。
etrex20は買ったばかりで、これが初投入でした。PBPに初物を持ち込むべきではなかったかも。

おなじG組のひであさんが自分のペースに合わせてくれて、しばらく一緒に楽しく走ることに。しかし、ひであさんの(流しめの)ペースについていくのに多少無理があったのか前日のパリ観光70kmライドがたたっているのか、余裕を持って走っているつもりなのに62km地点で両足が攣り気味に。

PBPの中で最も良く撮れた写真の一つ。タンデムのご夫婦にご挨拶してお互い写真を撮りあい、自己紹介カードをいただきました。とってもいい笑顔。名刺的なものを持っていくとコミュニケーションがスムーズになるかも。

20:34。初めてのカフェがあったので止まって小休止。カフェのおじさんにフランス語でなんか絡まれる。すごい笑顔で肩叩いてるけど何を言ってるのかわからない..。サンドイッチとコーラを頂きました。コーラは半分くらいしか飲めなかった、ような。

再開してまた進む。帰りも経験する緩い登りと街のある丘の繰り返し。21:30でもまだ明るいが、22時には暗くなる。足が攣り気味になってからはペースをある程度落として進んでいました。

23:30。140km地点、食事ポイントのモンターニュ オ ペルシュに到着。スタートからこの区間がPBPの中で最長でした。ドリンクとサンドイッチの屋台のようなものがありますが、吸い寄せられるように綺麗な食堂へ。PBPのPC停止時間は長くなりがちなので、屋台で買って短時間ストップにするのが正解でした。パスタを食べているので1時間は滞在していたはず。疲れていたのか写真はなし。

リスタート後の17日1:30。休憩している時に暗闇の中を進んでくるランドヌールを撮影しようとした写真。いつカメラを向けてもこのような写真が撮れるほど沢山の自転車が走行していました。
この時点で、信号がなくアップダウンのつづく地形にかなり疲労してしまっていました。気温は11度。アームウォーマー&レッグウォーマー&レインジャケットでもまだ寒い。ツイートによれば、この後PC1までに道端で二回寝ていたようです。

なんとか4:45にヴィレンヌ・ラ・ジュエルに到着。ここまでは一応予定通りのタイムで貯金は3時間。このPCは行きも帰りも素晴らしい歓迎ぶりでした。
食事はパン二つとオランジーナのみ。がっつり食べる気になれなかったので、この時点で胃腸の調子が悪かったのかもしれません。普段のブルベなら、23時にサンドイッチを食べ、走り続けて5時を迎えたのならコンビニでカツカレーをほおばっていてもおかしくないのに。

PCで食事して多少仮眠。おそらく1.5時間のストップ後、リスタート。多分6:15頃。

フージェール(309km地点)まで 89km / 19.1km/h

6:30には明るくなる。が、濃霧。割りと軽快に進んでいるはずですが、最初の区間で足にきている状態。最初の区間からずっと、心拍が120台からなぜかあがらず、130程度で息が切れている。おかしい。足にもきていて踏めないし、ペースがちっとも上がらない。しかし、体力的には余裕がある。(あとになって思えば、これはおそらくハンガーノックでした)

貯金があることもあり、この時点ではまだ気持ちには余裕がありました。朝が来ると明るく、フランスの街並みや景色は美しく、テンションもあがります。

7時頃、私設エイドでホテルで同室のKさんと再会。ここでは小さなケーキのようなものを食べた気がしますが、やはりがっつり食べる気になれませんでした。
「今回は向い風で前回よりスピードが出ずにつらい」とはAJ神奈川のMさんのコメント。
エイドからはしばらくKさんと共に進むものの、Kさんは速くすぐについていけなくなりました。後にKさんのfacebookによれば、「体調が悪そうに見えた」とのこと。

10:30にフージェール到着。この区間では途中で寝たりはしていないはず。
食堂でクロワッサン2つとパスタを頂く。鶏肉はパサパサでした。サラダとメインがパスタパスタでかぶってしまった。でもカロリーは十分。
この時点でもまだ貯金は3時間ある。

タンテニアック(363km地点)へ 54km / 16.3km/h
11:43、1時間以上の停止後、フージェールを出発。話に聞いていたとおり、ストップ時間がやたらと長い。この後、アップダウンの連続でどんどん足が削られていきます。この区間から毎回ネットにつないでチェックインするのを諦めました。モバイルルータを起動してネットに繋ぐ、そんな余裕はもうなかった。

途中、A.C.ルデアックの安定したプロトンに乗ることができ、楽に距離が稼げました。このままずっと乗っていけるかなと思ったが彼らは途中で休憩してしまい、あまり長い時間は楽ができなかった。

このような畑を見ながら走ります。ゆるやかなアップダウンがずっと続く。

13:31、スーパーでオレンジとオレンジジュースを買って食べる。この時は無性にフルーツが食べたかった。

14:30タンテニアック到着。まだ、予定通り。
フロントの空気圧が甘かったのでポンプを借りて補充。時間を気にしてここでは食事は簡素に済ませたような気がします。15:10にはリスタート。停止時間を40分に収められたことに満足。(普段のブルベではありえないほど長い時間ですが)

ここでも3時間の貯金があります。しかしこの区間は15km/hで走っていたため、もはや貯金が増えていない。

ルデアック(448km地点)へ 85km / 13km/h
タンテニアックを出た後、カルフール(スーパー)に寄ったのですが、ここで買ったサンドイッチを食べた後、胃のむかつきがおきはじめた模様。合わなかったのかもしれない。軽い吐き気もあり、何かを食べる気が起きない。ブルベでは初めての経験でした。

ケディアック手前で、2015年のAJ福岡ヘブンウィークで一緒に走ったUさんに出会い、しばらくご一緒させていただくことに。けだるい眠気がずっとあり、いまいち力が入らない状態が続いていましたが、Uさんと話しながら進むことで気分を紛らわすことができました。とても、ありがたい。

ケディアックには16:40到着

サンドイッチとオレンジジュースをいただく。

17:00にはリスタート。再びUさんと共にルデアックに向かう。ペースメーカーがいるというのはこんなに楽なものか、という感じ。Uさんは途中で休憩され、また単独で走り始めます。極めてスローペースではあるものの、徐々に最初の目的地ルデアックが近づいてくる。次第に気分も高まってきました。

景色を楽しみながら20:30ルデアックに到着。「LOUDEAC」の看板を見た時の嬉しさは言葉にならない。到着時の貯金は変わらず3時間。

ドロップバッグをゲットしてまず先にシャワー。

そして仮眠。頼んでおくと指定の時間に起こしてくれるシステム。17日23時に起こしてくれと伝えて就寝。
(ちなみにこれは当てにならず、23時をかなりまわってから起こされました。)

食事で時間が取られることを嫌ってルデアックでは食堂をパス。ここの食堂は非常に混んでいて長い行列ができていました。

ケディアックのパンの残りを食べて0時頃にリスタート。このあたりから明らかに補給が足りていないのに、それに気づいていない。大量に持参したカロリーメイトも、ゴールまでの合計で3箱しか消費しておらず、ほとんど補給できていませんでした。

カレ・ブルゲ(526km地点)まで 78km / 10.8km/h
ルデアックの仮眠所で2時間ほど寝たものの、深い眠りを得られずうまくリフレッシュできていない状況。国内での600kmブルベのときは、もっとうまく回復できていたのに。

この後は深夜。眠くなる時間です。このあたりから断続的なマイクロスリープで蛇行がひどくなっていきました。何度も何度も道端で仮眠することを繰り返しながら、サン ニコラ デュ ペルムへ到達。
この次のPCはたったの33kmしかないということで、ここでもきちんと食べていませんでした。

途中で、ルデアックのドロップバッグに入っていたモバイルバッテリーを交換し損ねたことに気づきます。
10km地点で落としたためetex20はなく、頼りにできるのはGarmin Edge810のみ。モバイルバッテリーは既に空。このままでは、Garminのバッテリーはドロップバッグのある復路のルデアックまで持たない計算です。

しかし、サン ニコラ デュ ペルムのバイクメンテショップで頼み込んだところ、なんとモバイルバッテリーを充電してくれました。(しかもこの後の復路でも充電してくれました。)わずか30分の充電ですがGarminにはそれで十分。なんとか持ちました。まさに神対応です。ショップの店員さん、ありがとう。

この後はバッテリーの無駄遣いができないためiPhoneの音楽再生も控え、眠気対策にアルバム一枚分を歌いながら走っていました。闇夜のフランスの道を歌いながら走るのは気持ちよかった(B’zの「闇の雨」)。心拍数は低く、歌えるくらいの余裕がある程度にしか動いていない状態でした。

どうにか5:44にカレ・ブルゲに到着。食堂の机で仮眠。少しだけのつもりでした。
これは明るくなった後、リスタート前の7:41の写真。ここでは2時間のストップになりました。

ここでついに貯金がゼロになりました。ルデアックでの休憩の後、道端で寝ながら走った区間のペースが明らかに悪い。ルデアックでうまく眠れなかったことが響いてきました。ここでもまだ、カロリーが足りていないことには気づいていない。

ブレスト(614km地点)まで 88km / 11.4km/h
アップダウンの続くコースの過酷さから疲労感は凄まじく、常に眠気もあり、辛さはピークに達していました。天気が良く、美しい景色だけが救いです。

パワーが出ず、ふらふら走っていた時に立ち寄った屋台。10:41頃でした。フランスパンにソーセージを挟んでケチャップをつけただけのものが、最高にうまい。時間が気になるので走りながら食べましたが、最後の一口まで勿体無いほどでした。
食べ終わると同時に少し力が出てきます。このあたりで、軽いハンガーノック状態だったことをようやく自覚。PBPでのスピーディかつ必要十分な補給は本当に難しかった。コンビニが大量にある日本とは全く条件が違います。

ブレストに行くんだ。ただそれだけを唱えて、限界が来ている体でペダルを踏み続けます。ブレストを見ずに、ここで終われない。両足のふくらはぎがおかしい。歩くのもきつい。常に倦怠感のような眠気。でも、ここでやめるわけにはいかない。

正午頃、大西洋が見える。思わず隣のランドヌールに海だ!と指差しながら叫ぶ。初めて見る大西洋、そしてついにブレストの街が見えてきた。

12:30ブレスト到着。PCクローズの数分前、ギリギリで間に合いました。ここで貯金はゼロに。

疲労、空腹感、それに睡魔。限界が来ていたので、ブレストでは1時間の食事の後、倒れ込むように芝生に寝転んで爆睡すること2時間。

起きたのはおそらく16時頃。なんとPCクローズ時刻の3時間後です。もうアウト。ここで時間内にゴールできる可能性は消滅しました。

ブレストにはTGVが通っているので、これに乗れば今日中に帰れてしまいます。夢だったブレストにはたどり着くことができた。今回はこの辺が潮時でしょう。

しばらく悩んだ後、DNFを決意してブレストの駅に向かうことにしました。

(後半へ)

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2015年のPBPの推移と課題、それに対策をまとめてみます。

■完走者の王道パターン

PBP2015走行グラフ。横軸が距離、縦軸が制限時間に対してのマージン(貯金)です。
赤線が時間内完走者。青線はDNF&認定外完走者。

これを見ると、448km地点の往路ルデアックまでに貯金を5時間程度作り、往路ルデアックかその先のサン・ニコラで3〜5時間程度ストップして仮眠し、780kmの復路ルデアックまでに貯金を5時間に戻してここでまた仮眠。
あとは大休憩なしでいくか、1089kmのモンターニュ・オ・ペルシュで最後の仮眠、というパターンが完走者の典型的な休み方のようです。

その後、何度か1000km/1200kmを完走した後で見ると、1000km以上のブルベではこの仮眠の取り方が典型的・標準的なものだとわかります。しかし、600kmまでしか走ったことのなかった当時はこのペース配分を知りませんでした。

■自分のペース推移

黒線が私の走行ペース。青線の認定外完走者と同じペースで走りながら、最後の最後で挽回できた、数少ない例外だということがわかります。

時速15km以上で走れている(=貯金を作れている)区間は、220km地点の最初のPC、ビレンヌ・ラ・ジュエルまでと、780km地点の復路のルデアック以降のみ。その他の区間はマイクロスリープの多発で15km/hを維持できませんでした。

往路ルデアックまでに貯金が作れず、ルデアックの仮眠で貯金を使い切った後は、道端で仮眠したりブレストで昼寝したりして、どんどんペースダウン。復路のルデアックでは4時間半も制限時間をオーバーする事態になってしまいました。

363km地点の往路タンテニアックあたりから698km地点の復路カレ・プルゲあたりまで、つまり2日目は胃腸の調子が悪く、補給ができずにハンガーノックになっていったことも眠気の原因になっていたように思います。

復路ルデアックで仮眠をとった後の3日目以降は普段のブルベのペースに戻っていました。

■課題と対策
1)直前と前日に十分な睡眠時間が確保できなかった。
18:30スタートなので翌日夜までは仮眠なしで走るつもりでしたが、すぐ眠くなってしまい、220km地点のビレンヌ・ラ・ジュエル以降は貯金が増やせなかった。
【対策】夕方スタートなのに早々に会場に行ってしまいましたが、直前までホテルで寝ているか、スタート地点近くで寝るなど、直前の睡眠コントロールをするべきでした。

2)ルデアックで深い睡眠がとれなかった。
ルデアック出発後もすぐ眠くなってしまい、途中で何度も仮眠し、ブレストでも爆睡する結果に。これがペースが上がらなかった主要因でした。
【対策】せめて、無理にルデアックで休憩せずに、眠くなる地点まで走ればよかった。

3)十分な補給をしていなかったため、ハンガーノックになっていた。
手元の記録によると、220km地点の最初のPCヴィレンヌ・ラ・ジュエルまでの摂取カロリーは1200〜1500kcal程度。
普段の200kmブルベなら、少なくとも2000kcal以上は補給しています。普段よりカロリーが補給できていませんでした。
この後の異常な眠気もカロリー不足が一つの原因となっている可能性があります。
持参したカロリーメイトは食べていまいたが、ドリンクが補給できない中で、喉につまる食品を走りながら食べるのはかなりきつく、大量には食べることができませんでした。胃腸の調子があまり良くなかったことも痛かった。
【対策】水なしで食べられる補給食が必要。

4)(1)〜(3)の理由でスローペースになり、PCが混雑して停止時間が長時間化した。
最も人数の多い90時間の枠の中で2番めのウェーブでスタートしたたため、スローペースで進むと後続のウェーブと混ざっていきます。この結果、PCの食堂では常に長蛇の列が発生。毎回1時間ほど停止してしまいました。普段のブルベのPCでは、短ければ10分、長くとも30分程度しか停止しないのでこれがかなり痛かった。
【対策】ペースが遅れているときは停止時間を短縮して取り戻す。食堂を極力パスするために、補給食を多めに携帯する。

■まとめ
2015年のPBPは幸運にも時間内に完走できましたが、睡眠と補給のコントロールに失敗した結果、大きなピンチに陥ったと言えます。慣れないフランスの食事が合わなかったためか、胃腸の調子が悪かったことも問題でした。

直前にきちんと寝ることなどは日本の長距離ブルベと同じですが、コンビニのないPBP対策としては、「補給」が最重要だと考えます。
今年のPBPでは、以下に注意することにします。

・PCで長時間停止しなくても良いように、補給食+水を多めに持つ。意識してカロリーを摂取し続ける。
・ドロップバッグに食べ慣れた補給食を大量にいれておく。

PBP 2019年のPre-registrationは無事完了しました。前回の教訓を活かし、今年のPBPは途中のPCも制限時間をオーバーすることなく完走したいものです。

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