PBP2015の話(2/3):後半
(前回からの続き)
ブレストにて
折り返し地点のブレストに制限時間ギリギリで滑り込み、倒れるように芝生の上で爆睡。気がつけばPCクローズ時刻の3時間後になっていました。もうこのあとのPCに間に合う見込みはありません。
しばらく悩んだ後、DNFを決意してGoogle Mapsでブレストの駅を探し、向かい始めました。PCの正面から出るとパリに向かう方向に誘導されてしまいます。きまりが悪いので裏口からこっそりと出発することに。なんだか残念な気持ちです。
パリへの乗り換えを調べてみると、レンヌで乗り換えることはわかるものの、パリは広すぎて、パリの中心がどの駅なのか今ひとつよくわからない。宿のあるサンカンタン アン イブリーヌまでどう行くのかも、よくわからない。
なんだかもやもやした気持ちが広がっていきます。
「重い輪行袋を担いで、自走ではなく、電車でパリまで戻るのか…。」
「どの街でも歓迎して迎えてくれた。小さな女の子たちが目をキラキラさせていつも応援してくれた。それなのに自分はDNFするのか…。」
(PBPは、道中のどの村でも沿道で沢山の人が応援してくれます)
「また、600kmでDNFするのか。自分は600kmまでの人になってしまうのだろうな…。」
(前年に1000kmブルベの600km地点でDNFしていました。この時点では、600km以上のブルベは未完走でした。)
割り切れない想いが増していく中、PCからブレスト駅までの道を半分ほど来ました。
「このまま本当に駅に行くのか…?」
「…」
「…」
「…」
「…いや。パリに帰ろう。もう制限時間には確実に間に合わないけど、でも何時になってもいいから、あの道をまた辿ってパリに向かおう。」
ブレスト駅に向かう途中でそう決めて、踵を返しました。
カレ・ブルゲ(698km地点)まで 84km / 9.2km/h
おそらく17時ごろにコースに復帰。まだPBPに参加できていることが嬉しい。もう何時になっても構わない。自走でパリに帰ろう。そう思いました。
600kmより先は、当時の自分にとっては未体験の距離でした。ですが、ブレストで気持ち良く熟睡できたためかそれなりに調子は良い感じ。自走で帰ると決意し、吹っ切れたのでメンタルも前向きです。
21:20 カレ・ブルゲの直前でケバブ屋に入って食事。大量の肉を食べきれず、半分はお弁当にしてもらいました。普通の食事がありがたい。
21:50 カレ・ブルゲに到着。短時間の停止ですぐにリスタート。この時点で、借金は2時間50分。
ルデアック(780km地点)へ 82km / 10.1km/h
22時をすぎるとまた夜が来ます。疲れも溜まってくるし休憩したい。でも、3時間近い借金を抱えている。カレ・ブルゲでも、その後のサン ニコラ デュ ペルムでも人の姿は少なくなっていました。これ以上遅れてしまうと、PC自体が閉鎖してしまうかもしれない。開いているうちに、なんとかルデアックまでは辿り着きたい。
途中の屋台でソーセージをクレープで包んだものを買って食べる。味はイマイチ。
街にある、このような私設エイドにはなんともいえない魅力があります。食べている間にも、吸いこまれるように次々にバイクが止まっていく。みんな疲れているんだなあと思うと、なんだか微笑ましい。
パリを目指して気合いを入れ直して走るも、この後は睡魔に勝てずに何度も道端で仮眠。
ルデアックには19日5:37に到着。ここで、借金は4時間半に達していました。借金が減るどころか増えている。15km/h以下の速度でしか走れていないということです。
当初の予定では、シャワーを浴びて仮眠を取るはずだったのですが、もはやそんな状況ではないと判断。
ケバブ屋で包んでもらった弁当を食べ、これまで温存していたオダックスのジャパンジャージに手早く着替え、今度はモバイルバッテリーも忘れずに持って出発。
ここで、日本人の方から耳寄りな情報を聞くことができました。
「PBPでは途中のPCの制限時間をオーバーしていても、時間内に完走できれば認定がもらえる。別の人がPBPの運営スタッフに直接確認したらしい」とのこと。
伝聞であり、正確な情報ではないかもしれません。しかし、制限時間をオーバーしても、ここまでのコントロールでは何も言われずにスタンプをもらうことができていました。
もし最後の制限時間に間に合えば、認定がもらえるのかもしれない。この情報に望みをかけて、ゴールを目指してみることにします。
残りは400km。600kmを超えているので15km/hで走っても借金は減っていくはずです。これまで経験したことのない、4時間半という大きな借金を考えると、それでも間に合うとはとても思えません。でも、少しでも可能性があるなら、挑戦してみたい。
復路ルデアックは6時半にリスタート。
タンテニアック(865km地点)へ
8月だというのにフランスの夜は寒く、モンベルのジオラインEXPとレインジャケット上下を着てなんとかやり過ごすような気温。
午前九時にカフェを見つけて入店。店に入る際、縁石にタイヤを取られて落車するも、ディレイラーガードを付けていたので問題なし。
コーヒーとバゲットを注文したところ、1mほどもある長いフランスパンがでてきてびっくり。でもフランスのパンはとても柔らかく、バターをつけて食べるだけで不思議に美味しい。1/3を食べて、1/3をテイクアウトにしましたが、全部持ち帰ればよかったと後で後悔。
途中のケディアックはトイレとドリンク補給だけの7分ストップでリスタート。
このビアンキジャージの英国人と一緒に、引いたり引かれたりしながら進み、10:44にはタンテニアックへ到着。
この区間は普段の調子になり、良いペースで走れました。でもまだ借金は3時間もあります。
フージェール(919km地点)へ 54km / 16.7km/h
もう後がない。絶対にパリへ帰るという一心でとにかくペダルを回します。
この区間は、記憶が曖昧。14時にフージェールに到着しているので、11時すぎにタンテニアックを出発したとしたら、3時間弱で走破しています。これまでのスローペースと比べると明らかに速い。
ヴィレンヌ ラ ジュエル(1008km地点)へ 89km / 17.3km/h
ようやく本調子になってきているのでとにかく急ぐ。前半は眠くパワーが出なかったり、序盤で足がつってしまい、かばうように走ってきたのでまだ足が残っていました。
補給は途中の私設エイドを活用し、なるべくサンドイッチを食べます。フランスのオレンジジュースが気に入って、後半のドリンクはほぼオレンジジュースにしていました。
サンドイッチとオレンジジュースはPBPの標準補給食、といった感じ。
19日19:43 ヴィレンヌ ラ ジュエルに到着。借金は1時間40分まで減少していました。これなら次のPCで、オンタイムに戻せるかもしれない!
あいかわらずこのPCは素晴らしい歓迎ぶり。到着時間が遅いためか食堂が空いていたので、食堂でパンとオレンジジュースを頂く。
オレンジジュースをボトルに入れ、空きビンを捨てるためゴミ箱を探そうと辺りを見回した時、沿道の方が「わたしが捨てておくわよ。早く出発して」と空きビンを受け取ってくれました。何気ないことですが、こういう応援はとても嬉しい。本当に応援してくれているんだなと思うと、力が湧いてきました。
丁寧にお礼を言って、出発。
モンターニュ オ ペルシュ(1089km地点)へ 81km / 15km/h
再び夜がきます。借金はどんどん減っているのでこの区間でオンタイムに戻すつもりで景気よく走行。夜とはいえ天気は良いし、バッテリーの残量も問題なし。夜が寒いことも理解しているのでウェアのレイヤリングで対応済み。懸念はない。
20日1:09にモンターニュ オ ペルシュ入り。この時点で、借金はわずか1分になっていました。
多少の余裕ができたので、ここで大休憩をとることに。食堂でパスタを食べました。
食堂は並んではいないですが、制限時間に近づいてきたのでかなり人も増えてきました。
食堂の床で仮眠をとり、3:26に再出発。
ドルー(1166km地点)へ 77km / 11.2km/h
次のPCには間に合うはず。気合を入れてスタートするも、すぐにマイクロスリープが頻発する状態に。「ランタン・ルージュ」と言われる、どこまでも続くテールライトの列に幻惑され、蛇行運転で路肩に入り込むこと多数。走っているのか夢を見ているのかわからない。前の人同士の会話が聞こえてくるような気がする。ふと我に返って、突然停止したりすることもありました。
何度も草むらで寝ても、それでも眠気は取れない。直線では蛇行し、意識がない状態で坂道を下ったりしていました。ふと気がつくと、すぐ前にいたライダーとの距離がかなり離れている。いつの間にか、かなりの台数に抜かれている。気がついてまたスピードを出して前のライダーに追いついても、また同じことの繰り返し。
周囲の方から「危ない!寝ろ!」と頻繁に言われる。前に進めていたことがむしろ不思議なくらいの状態でした。
ドルーに到着したのは20日の7:46。せっかく減らした借金は、また一時間10分に増えています。
ゴールのクローズ時間は11:30。残りの距離は64km、残り時間は3時間半。
借金は1時間以上あるけど、ここまできたらもう、やるしかない。
ゴール(1230km地点)へ 64km / 19.1km/h
残りの三時間は全ての力をかけて行くしかない。ドルーに到着後、すぐにコントロール駆け込み、力強く挨拶してすぐに飛び出していきました。
素早くサンドイッチだけは購入。これさえあれば補給はもう最後までなんとかなるでしょう。
出発後、Garminでコースを確認しながら徐行していたら、急停車した前走者に接触して落車。擦過傷はほとんどないものの、もしかすると肋骨を痛めたかもしれない。それでも、何も感じないくらい気合が入っていました。急停車した方は申し訳なさそうに何やら説明していましたが、「いやいやあなたは悪くないよ」と話して再びスタート。
ここからが勝負の3時間。ここで雨が降り始めました。それも小雨ではなく、本降り。
…だからどうした!。これまで晴れだったことを思えばなんでもない。この年のヘブンウィークの指宿600では、17時間続いた豪雨の中を走ったりもしていました。その時に比べれば、あとたったの3時間でしかない。夜は明けて明るくなっている。雨は、ペースを落とす障害にはならない。
一度は諦めた認定が視野に入り、気持ちは盛り上がっているものの、初めての1200kmの最終盤で体はガタガタです。
あと3時間、この3時間だけは足よ動いていくれと、と祈るような気持ちでひたすら踏み込みます。エネルギーをすべて使い果たすつもりで踏み込む。出し惜しみは無し。登りでも踏む。みるみるうちに減ってゆく目的地距離。たまにパンをかじる。フランスパンをトップチューブバッグに刺していたら、カメラが落ちて石畳で傷だらけに。素早く停止しカメラを拾って、すぐに元のトレインに追いつく。そのくらい、気迫を込めて走っていました。
次第にゴールが近づいてきます。案内の表示がある場所からは、なんだかんだで10km以上あるようです。周りの人はもうゴールを確信してパレードランモード。談笑しながらゆっくり、のんびり進んでいます。自分よりスタート時間が遅い人ばかりなのだから当然です。
しかし、自分と同じG組や、それよりもスタート時刻の早いF組は、間に合うかどうか、かなり際どい時間帯です。余裕がないのでとにかく急ぐ。制限時間ぎりぎりでは、もしゴール前に渋滞するようなことがあればタイムアウトになるかもしれない。そんなことまで考えます。
そして….
20日10:56ゴール!
スタートや折返しブレストでは、見栄えの良いゲートなどがありましたが、ゴールには何もなく簡素な柵があるだけでした。ゴールすると、周囲にいる人たちみんなが讃えてくれました。
ゴールゲートをくぐったら、すぐ前に前半を共に走ったUさんがいました。偶然にもほぼ同時にゴールしていたようです。(Uさんの方がスタート時刻が遅いのでタイムはかなり早い)
こうして、なんとか制限時間内にゴールすることができました。
一度はブレストでDNFを決めながら思い直して再度走り出し、途中のルデアックでは4時間半も制限時間をオーバーしながらの完走なので、感無量です。
折返しのブレストでは、まさか時間内にたどり着けるとは思っていませんでした。
ゴールタイムは89時間24分。制限時間のわずか30分前でした。奇跡が、おきました。